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振り返らない。忘れるまでは。

延命と消極的安楽死と「安楽死」という言葉と

 

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(つづき)

父は処置室みたいなところに寝かされていて、脈を表示する機械も付けられていたけどすでにそれはなんの反応もなかった。担当医師が発見時の状況と延命措置をとらなかった旨を説明して、確か、脈を確認してみたり瞳孔を確認して「ご臨終です」みたいなコトを言ったんだと思う。

家で病院から「大至急来てくれ」という電話を受けた時点では、危篤状態に陥ったんだと思ってばかりだった我々家族は、数時間前に会話をして別れた父が急に亡くなったことにビックリしたのだけれど、アタシは「ああ、終わったんだ」と何か肩の荷が下りたような気がしたし、これで父が苦しまなくても済むんだと自分自身を納得させるようなキモチになった。

 

延命措置はしない。

 

そう決めてはいたけど、看護師が発見した時点で蘇生を行っていたら状況は変わっていただろうか? 本当にコレで良かったのかなというモヤモヤとした気持ちは生まれた。でも「これでよかったんだ」と葬儀が終わるまで自分に言い聞かせた。

 

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これを読んで、もし蘇生を行っていたらこのような状態になっていたかもしれないし、自然の摂理に近い形で亡くなっていったのだから、良かったんだと思った。

正直なところ、延命はしないと決めてはいたけど、亡くなる少し前に母と「母さん、まだ年金もらえないからあと3年は頑張ってほしいよねぇ」なんてコトも話し合っていた。

 

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「こんなの幸せなわけないだろう!」って言いたい人も多いだろうけれど、僕は正直なところ、そういう状態の高齢者の内心がどうなのか、「わからない」のです。それを知る方法は、今のところありません。
 「わからない」かぎりは、自分の勝手な想像で、「本人は苦しんでいて、死にたいと思っている」とか、「かわいそうだから、もう死んでもいいよね」と決めつけるのは危険

 アタシと母が「延命はしない」と決めたことは、自分達の勝手な想像で「もう苦しませたくない。だからもう死んでもいいよ」と同義だっただろうか?

(3)の消極的安楽死は、「延命治療(措置)の手控え、または中止の行為」を意味する。多くの国々で臨床上見受けられる。日本でも老衰患者の胃瘻処置や、末期癌患者の延命措置などで、これに該当する行為が取られる。ただし、これらを規定する法律はない。

アタシと母の決断は「消極的安楽死」だったのだろうか? 

医師の問いかけが、「延命措置をしますか?」ではなく「安楽死させますか?」だったらそれを選べなかったような気がする。どうしても「安楽死」という言葉が「まだ生きることも出来るけど死を選択する」ように思えてしまうから。

結局のところ、父の死はドラマであるような病院のベッド上で蘇生措置を行っている横で家族が「もういいです…」とそれを止めるようなシチュエーションではなく、病院に居ながらも誰も見ていない時に急に息を引き取ったという状況だったわけで、アタシ達はツライ選択を迫られることも無く父の死に向き合うことになったんだと思う。

 

いずれアタシも必ず死ぬ。無理な延命はしたくないし、出来れば父のようにそっと息を引き取って逝きたいと、そんな風に思った。