STARDUST can be found.

振り返らない。忘れるまでは。

延命はしないと決めていたので

twitter.com

この夏で父親が亡くなってもう3年になる。

71歳だった。

亡くなる8年前に脳梗塞から半身不随になって一時は自宅療養まで回復したけれど、亡くなる2~3年前からは入退院を繰り返していた。

 

toy.hateblo.jp

 

亡くなった年の春頃、父は再び入院した。不正脈だったり血圧だったり肺に水が溜まったりと、芳しくない状態が続いていた。入院早々に母は医師から「おそらくもう病院から出られない」と言われた。そしてもうひとつ、「もしもの時、延命治療をしますか?」と聞かれ「家族で話し合ってほしい」と言われたのだ。母はアタシに電話で「そう言われたんだ」と落ち着いて伝えてきた。

アタシと母は「もしもの時、延命治療はしない」と決めた。理由は父が辛そうだったから。体が悪くなる一方でこれ以上の回復も見込めない。それであれば命が尽きそうな時はそのまま静かに終わらせた方がいいだろうと、本人の意思とは関係なく決めてしまった。前述の意見を母と2人で出し、最終判断は母に委ねた。長年連れ添った夫婦、妻としての判断で最期は決めてほしいと。8年間介護生活をしてきたのも母だし、仮に延命して介護をするのも母なのだから。母は少し考えてやはり延命はしないと決めた。もうひとりの家族である妹には考えを聞かなかった。

そしてその年の夏、倒れた時と同じお盆に父は亡くなった。

亡くなる前日、倒れる前の7月に会ったきりの姪の子供たち、8年前は小2だったのに高2に成長した姉妹が面会に来てくれて、楽しい時間を過ごせたと思う。亡くなる日の午前中にアタシや母も病室に行き30分ほど顔を見て「また明日来るね」と実家に帰った。その2時間ほど後に病院から「大至急来てくれ」と電話が入ったのだ。

病院に到着したとき、すでに父は亡くなっていた。昼食の時間でナースが見に行った時点ですでに心肺停止だったという。母とアタシが決めた通り延命措置は行われなかった。父は眠っているように安らかな顔だった。

 

 

コチラにつづく 

toy.hateblo.jp