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振り返らない。忘れるまでは。

ワンオペレーションという都合のよい言葉

『ワンオペ』という言葉が大嫌いだ。

正確には『ワンオペ育児』が大嫌いなのだ。

というのも、家人曰く「ワンオペ育児をさせてきた代償」というものを今清算させられているからだ。事あるごとに「ワンオペ」なんて言葉を発せられるとアタシの脳内に何かが沸々と煮えてくるのを感じる。ただ、「頭が沸騰ーしそーだよー!」までは行かない。そんな時も冷静でありたいと願っている。

「ワンオペ育児」なんて誰が言い出したんだろうか? 考えた人は育児中の不満や大変な状態を上手く一言に表したと思っているのだろうか? 「ワンオペ育児=夫の非協力」という方程式が成り立ってよかったと思っているのだろうか?

アタシにとってこの言葉は全てを否定するように感じられる。確かに仕事の時間はまったく協力できなかったけれども、真夜中に粉ミルクを作り飲ませゲップをさせていた初めの数ヶ月、週末の買い物中にずっと抱っこしていた時間、日々のオムツ替えや何日かに一度のお風呂タイム、収集日のゴミ捨て、食事の世話、ミニカー遊びや外遊び、ムシキングへの出費と相手、ホットケーキのお昼ゴハン、家人が乳児お相手中の家事全般などなど全てが否定される。ワンオペ育児を叫ぶ者は本当に100%ワンオペだっただろうか? 100%だった者だけ「私はワンオペ育児をやってきた!」と叫べ。都合よく言葉を使う者が悪いのはわかるが、曖昧な内容を簡単な言葉で表した奴にアタシは腹が立っている。

ワンオペ育児の言葉を聞く時、アタシは母を思い出す。仕事をしていた母の方がよっぽどワンオペだった。アタシも小学校に入ってからは家事を担当していたけれど、それでも母の方がワンオペだったはずだ。しかし、それについての不満など言いはしなかった。それが当たり前のコトだったんだろう。時代は変わり昔の当たり前は今は通用しない。だけど、昔より格段に家事の道具は便利になり、便利なシステムが出来てきた。ただ、人は便利になってしまうとより便利で楽な方向へ進もうとする。これも当たり前のコトだけど。便利で楽に進むコトが、自分の不都合を批判する便利な言葉に置き替わってしまってはいないだろうか? そんな風に思った。

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