納豆食べてもご飯茶碗はほぼ汚れない。
「納豆パックにご飯投入」はアタシの身近にも見られる、そしてもうひとつ見られるのが「納豆をご飯にかけずに食べる」人だ。これもご飯茶碗が汚れるのが嫌という理由であるらしい。
アタシの身近の納豆パックにご飯投入する派は、投入後にそれをかき混ぜ味を均一にして食べている。かけずに食べる派も納豆とご飯を間を置かず口に投入しているので、口の中で撹拌しているのだろう。
で、アタシはといえば、納豆が茶碗に当たらないようにご飯の上にのせてかき混ぜないで食べる派だ。子供だった頃はアタシも納豆とご飯をかき混ぜて食べるお子様だったが、小学生だったある時、従兄弟の家に泊まったよく朝にこの技を従兄弟から盗んだ。茶碗から糸を引かないなんて、なんて食べやすいんだろう! そして、混ぜない方が納豆とご飯の味がハッキリわかってより美味しい! という理由がこの食べ方をアタシのデフォルトにした。
納豆をズルズル音を立てながら食べたくない。
茶碗や丼に口をつけてかき込む食べ方はしたくない。
孤独のグルメでよく見かける「ご飯のかっこみ」はアタシ的に見ていて気持ち良いものではない。アレは「犬食い」と同じだと思う。
仮に、付き合っている彼女が茶碗でもまたは納豆パックでも、ご飯と納豆を混ぜ混ぜしたうえで、それに直接口をつけてかきこんで食べる派だとしたら、アタシはなんて言うだろう? アタシの個人的な意見を押し付けてしまいたくはない。けれどもその食べ方は度し難い。食事というのは日常的に目にする行為なだけに、相手を理解できるかどうかは重要なコトのように思う。